とどのつまり

そういうことらしい

お久しぶりです

久しぶりにブログを書く
最近、いわゆる感受性がとても過敏になって来ている気がする
良い物を良いと感じる事は、悪い物を悪いと感じすぎてしまうから実は諸刃の剣なんだよな
あとは、喜びを感じやすい分悲しみも感じやすい

 

 

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俺は昨日、3時間の間に二ヶ所で合計1時間ライブをやった。
それぞれ全く異なるコンセプトの物をタイトスケジュールの中でこなすのは神経を使うしもう嫌だ!と思ったけれども、なんとか楽しく出来た。

だけど、ここ最近人に会いすぎていて今は誰とも会いたく無いんだ
3〜4人だったら良いんだけど、人が沢山いるの苦手だから面白く無くなってしまうし、ショックな話はたくさんあるし。
2回目の会場に来てくれた元カノと話をしていて、とっても楽しく話していたんだけど最近の話を聞いて、後頭部を殴られたような感覚に襲われた。プライベートな事だから書けないけど、想像つくよね

俺は音楽に関しては、先へ先へと進むつもりでいつも行動してるけれども、人生ってくくりで見たらおんなじ所にしか居ないんだと気づいた

皆、どんどん遠くなって行く
そしてだんだん忘れる
遠くなった先で誰かと出会い、別れてまた出会い、その先で出会った最初の人すらも多分忘れる

俺がどんなに良い曲を書こうとも、どんなパフォーマンスをしようとも、大した意味なんか無いんだ

だけど、俺はそれをわかっていながらなお、音楽を続けて、飯を食う
みんなより遅いエスカレーターに乗り続けるんだ


結局昨日はライブが終わった後も友達と始発までぶらぶらしてたんだけど、頭の中で曲が鳴ってしまっていたから心ここに在らずになってしまった
でも曲は出来たから、あとはこの傷ついた状態の心がかさぶたがついてちょっと膿も出ちゃってる感じになるまで待つ
そしたら客観的な、みんなに刺さる詩が書けるんだよな


そして俺は帰ってひとりでシクシク泣いた
嬉しい楽しい寂しい悲しい全部入りの涙だった

ひとしきり泣いて、曲を書いて、気づいたら朝の終わり、じいちゃんの墓参りに行った
じいちゃんが生きている時に見せられた彼女の今の話をして、また車で泣いた
そしたら外が晴れて来たから、帰って寝た

 

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Pizzicato Five - The Great Invitations - YouTube

 

pizzicato five_華麗なる招待

 

人は生まれてそして誰かを愛してそしていつか死んで行く

とてもあっけない

飛行機の中で見た短い映画みたいに

 

僕はこの詩がとても好きだ

これは小沢健二の愛し愛されて生きるのさ、とはワケが違う

 

この詩は、自分は幸せだったとあるが相手が幸せだったかどうかは書いていない

俺は、そこを言い切らない、言い切れないその無常感というか、そういう所が本当に好きなんだ

 

言葉で言われたって、キスしたって、セックスしたって、その場ではその愛しさなどに満たされてしまうけれども、本当のことはわからない

俺の場合は、深層心理の中で自分のことが嫌いだから、なおさらわからない

 

でも、わからないから信じない訳じゃないんだよ

わからないからできるだけ信じてるんだよね

ありがとうございました