この3日間くらいは
ほんと、休みなんてもんはほとんど無いけれども、良い感じに暮らせている
ライブはみんな喜んでくれるし、制作はある程度本当に楽しいし、作りたいものも作れているし
プカーっと消えて雲にでもなってるのであろうタバコの煙を見ながら、新しい曲のアレンジ、コンセプトを考えるのが今の幸せだ
一人の時間が楽しいのは調子が良い証拠だ
今日も帰ったらなんか制作しよう
危ないところだった
鬱が半分人前に出た
誰かに申し訳ない〜ごめんなさい〜嫌いになってたらどうしよう〜俺といない方がいいんじゃないか〜ごめんなさい
こんなループが発生するともうダメだ
俺が心から楽しい時は誰かが楽しくない思いをしてるのに、俺が心を滅して誰かを楽しませたい時は、「なんかそういう大地くん違うんだよね」って話になる
そして躁鬱のトリガーが弾かれる
躁鬱を行き来するのも、つかれたな
それで曲が出てくるのも
だから、誰かに思いっきり、つらいと言ってみようと思う
それで嫌われるのが怖いけど、たぶん大丈夫なはず
せいいっぱい
オシャレしてショッピングモールを歩いてもオシャレじゃない
なんでだろう?顔なんだよな
一人の時の俺、顔が根暗すぎてオシャレもクソもなくなってる
今にも俺は泣きそうだよ
可愛い子が呼んでる
夕暮れが全てを変えてしまう
それは反対側で散歩している犬の種類さえわかるような小さな土手の上からでもわかる
つまらない時に限って夕暮れは遅れてくるのに可愛い子が俺を呼ぶ時に限って夕暮れもついてくる
夕暮れが、あの子が過去にしてしまう
今にも俺は泣きそうだよ
いつも隣にいる
彼女よりも親よりも友達よりも一緒に居るのは死
どうせ死ぬんだけど今すぐじゃなさそうだから何とかなるだろうなー、とか
今すぐ死ねないからこれやらないとヤバイじゃん!
みたいな事を考える
ただ、これって人に期待し過ぎてしまうあの感じと似てるのでは?
勝手に期待して、裏切られた気分になるおこがましいあれ
もし仮に死んだとしても、何も終わらないし何も救われないのかもしれない
ただ、死が完璧なのは肉体的に動いて居るうちは希望を抱き続けられる事だな
実際の話は死ぬことさえ大した話では無いのかもしれないけど、それを考え出すと生きながら死ぬ、最悪の状況に陥るかもしれないから、いつも隣にいる死を信用して今日も生活するのが良いのかもね
分かんねーけど